コラム

第35回 私の「閉じた扉」

2017年11月に入ると、白石設計20周年記念祝賀忘年会の正式な日程がアナウンスされた。

これまで忘年会についてはサスケ工房だけで実施していたのだが、今回は親会社や他の関連会社含めて全グループ合同での実施となった。

参加想定人数も職員・利用者合わせて300名近くになるだろうとのことで、開催場所も従来よりも規模の大きいホテルでとなった。

そして、例年通り各事業所からの出し物を考えないといけないことになったのだが、新居浜事業所としては迷うことがなかった。

「今年も三浦さんたちにお任せします」
通所の際にHさんから真っ先にそう言われた。

つまり昨年同様、社長をボーカルにしたサスケバンドで今年もぜひということになったのだ。

早速、バンドメンバーのMKさんとB君と打ち合わせをした。

話し合った結果、やはり社長が歌いたい曲でやろうということになったが、昨年はバラード調の曲だったので、今年はバンドらしくロックっぽいものをやりたいという話になった。

その旨をHさんから社長へ伝えてもらったところ、数日後に社長から2曲のリクエストがあがってきた。

1つは井上陽水の「東へ西へ」、もう1つはコブクロの「轍」だった。

「東へ西へ」は原曲がフォーク調のものだったが、調べてみるとロックアレンジしたバンドバージョンのものも多くあったので合点がいった。

「轍」についてはコブクロのなかでは最もロック調の疾走感のある曲だったので、これは盛り上がるぞという予感がした。

そうとなったら、気合を入れて練習するしかない。

例によってMKさんが2曲のマイナスワンデモ音源を作成し、まずは各自が自宅で個人練習することから始まった。

やがて12月に入ると、いよいよスタジオでの練習に入ったのだが、その矢先にまた別の話が舞い込んできた。

今回は20周年記念ということもあり、事業所だけでなく本部職員中心による出し物もしたいということで、当時流行っていたブルゾンちえみの35億ネタをやろうという話になっていた。

そこでそのBGMの曲をサスケバンドで生演奏できないかという打診があったのだ。

歌のキーも高いのでどうかと思ったが、私がボーカルもする形で何とか引き受けることにした。

急遽3曲での準備をしないといけなくなったことはたいへんではあったが、一方ではやりがいも感じていた。

会社の記念すべき行事に花を添えられるよう出来るだけ頑張ろうと3人で話し合った。

私の「閉じた扉」

そしてついに仕事納めとなる12月最終日に全グループ合同の忘年会が行われた。

バンドメンバーの3人は忘年会が始まる前に早めに会場入りし、サウンドチェックなどを行った。

そうこうするうちにマイクロバスに乗ってきた遠方の事業所の人たちが次々と会場入りをしてきた。

広い会場が徐々に人で埋め尽くされていく様子をみて、何か武者震いのようなものを感じた。

やがてその人だかりの中から白石社長の姿が見え、そのまま我々バンドメンバーのところにやってきた。

「なんか緊張するね。まあ頑張って歌うんで、今日はよろしくお願いしますね」
社長が満面の笑みを浮かべてそう言ってくれたので、逆に緊張が解けたように思う。

そして社長の挨拶を皮切りに忘年会が始まった。

会社立ち上げ当初の頃の話に始まって、何度も挫けそうになりながら後の福祉事業につながっていくまでの苦労話を聞くことが出来た。

社長としても万感迫る思いがあったことがその様子から伝わってきた。

挨拶の最後には企業理念にある「関わる全ての人の幸せを創造する」という言葉の意味にも触れられた。

私には想像もできないほどの高い視座を感じずにはいられなかったが、間違いなくその恩恵を受けているということだけはわかった。

私は今幸せを感じている。

それはこのサスケ工房との出会いがあったからなのだ。

そんなことを考えているうちに、各社員への表彰や各事業所からの出し物など一通り終え、ついにサスケバンドの出番がやってきた。

先ほどまでの緊張はどこかに吹き飛んでいた。

そして会社や社長への恩返しへの意味も込めて、思いっきりやろうと腹に決めた。

アフロヘアでサングラスの社長が登場すると会場が大いに湧いた。

そして1曲目の「東へ西へ」が終わると、想像以上の歓声、拍手に包まれた。

完全にこちらのペースになったと感じた。

その勢いのまま2曲目となる「轍」のアコギサウンドによるイントロをかき鳴らした。

この曲については私もハモリパートを歌うことになっていたのだが、歌っているうちにそれまで深く考えたこともなかったことに気づかされる。

それは「轍」の歌詞が、社長にとっても、私にとっても、そして聴いている利用者の人たちにとっても、とても意味のあるメッセージだということに。

そんなに遠い目をして 君は何を見ているの
昨日を振り返るなら見えない明日に目を凝らせ
こんなに強い自分がいることに気付いたのは
この道が誰でもない自分で選んだ道だから
しがらみの中をかき分けて進め
傷だらけの両手がいつの日か輝いて見えるまで
開いた扉通り抜けてもそれじゃ強くなれやしないよ
閉じた扉タタキつぶしてゆこう君の未来のほうへ
(コブクロ「轍」より)

演奏が終わると、指笛など混ざりながらの大歓声を浴びた。

それぞれベストパフォーマンスで無事乗り切ることができ、笑顔でお互いにたたえ合った。

白石設計20周年記念祝賀忘年会はこうして盛大に行われ、その余韻を感じながら2017年を終えることができた。

年末年始の休みに入って、MKさんからYOUTUBEを通じて忘年会の演奏動画が送られてきた。

それを見ながら、私の「閉じた扉」とは何だろうとぼんやりと考えていた。

株式会社白石設計&サスケグループ
サスケ業務推進事業部
三浦秀章
HIDEAKI MIURA

36歳の冬、先天性の脊髄動静脈奇形を発症。 リスクの高い手術に挑むが最終的に完全な 歩行困難となり、障がい者手帳2級を取得。当時関東に赴任していた会社を辞め、地元の愛媛新居浜に戻り、自暴自棄の日々を過ごす。

41歳の冬、奇跡的にサスケ工房設立を知り福祉サービス利用者として8年半、鉄骨図面チェックの仕事に従事する。 50歳で一念発起しサスケグループ社員となる。

これからの目標・夢

障がいで困っている人の就職のお役に立ち、一人でも多くの仲間を増やすこと。

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