コラム

精神障がいの方への希望の記事

今回は、精神障がいを抱えながら会社員として日々頑張っている方や、思うように就職が出来ない方にとって、勇気や希望となるお話だと思いましたので、こちらの記事を紹介させていただきます。

記事の中で紹介されている安河内さんは、人材派遣グループのスタッフサービスビジネスサポートに勤務されていて、精神障がいを抱えながらも、その手腕と誠実な人柄が評価されてこの4月から課長になられたとのことです。

語弊を恐れずに言えば、身体障がいの方でバリバリ活躍されている話は聞いたことがあっても、精神障がいの方でリーダーとして活躍されている話はあまり聞いたことがありませんでした。
むしろ、働いている途上で何らかの原因で精神障がいとなってしまい、休みがちになってしまったり辞めざるをえなくなったりするケースのほうが断然多い印象です。

私の親しい友人にも、うつ病になった後しばらくして会社を辞めてしまったという話があります。
身近にもそのような例があるせいか、今回の安河内さんのお話には何か特別なものを感じました。

安河内さんは、そもそも今の会社に入る以前の話として、大学3年時に精神障がいと診断され、その後休学を含めて3年間は何もできなかったというところから始まっています。

ということは、最初の就職活動からご自身の精神障がいとの闘いの連続であったことが伺えるわけですが、今回の課長昇進に至るまでには、並大抵ではない苦労、努力があったと思われます。

“障害者の就労を後押しする地域活動支援センターで就職面接を練習。パソコンソフトの資格も取得し、ハローワークで障害者雇用の求人を探して約30社を受けた。10社弱は面接まで進んだが不採用に。身体障害の人たちは次々と就職が決まり「精神障害者の自立は難しいのかと、ひどく落ち込んだ」と言う。”

これはまさしく、よく聞く精神障がいの方の苦しい状況そのものの様子とも言えます。

不採用という結果がまたさらに負の連鎖を生み、一度そのスパイラルに嵌ってしまうと抜け出すのは本当に容易ではないと思います。
ご自身の心境は如何ばかりであったかと思いますが、何とかその苦しい時期を耐えたのちにたどり着いた現在の会社の環境が、安河内さんにとっては良かったのだと思います。

スタッフサービスビジネスサポートさんは、この業界でも有名な障がい者の方を中心とした特例子会社です。
一人ひとりが安心して働けるよう精神保健福祉士、保健師、ジョブコーチが常駐しており、いつでも相談などが出来る環境があり、そのなかで安河内さんは徐々に本来の持ち味を発揮されていったのではないかと思います。

“やっと入った今の会社。当初は偏見を恐れたり、早く認められたいと焦ったりする気持ちにさいなまれた。薬の副作用による強烈な眠気にも苦しんだ。そんな時、適切に対応してくれたのが上司や同僚だ。「つらい時はお互いさま」と仕事をカバー。ただ、過度な配慮はせず、挑戦もさせてくれた。 慣れてきたら、業務の効率化に力を入れた。ハンディのある自身と仲間を働きやすくするためだ。時間を節約するデータ入力術を考案し、職場で共有。やがてチームリーダーを任された。”

ここでの一連の経緯がすべてを物語っています。

こうした社員の方の何気ない言葉ひとつひとつからでも、希望や勇気は沸いてくるのだと思います。
ひとりで抱え込まない、焦らないことです。

特例子会社に限らず、一般企業においても最近は障がい者雇用にも力を入れている会社も増えてきており、精神障がいの方でもご自身のペースで働ける環境を見つけることは決して難しいことではありません。

一度持った障がいを完全になくすことは難しくても、その抱えた障がいとうまく付き合いながら、またそういった同士とともに励まし合いながら、少しずつ前に進んでいける会社は必ずあります。

粘り強くそういった会社を探していけば、その先に何か光が見えてくるのだと思います。

安河内さんはおそらく最初から、課長になることなどは想像もしてなかったのではないでしょうか。
むしろ、仕事に慣れていくなかで同じ仲間のことまで思い至れるようになり、結果的にリーダーとしての資質を認められたのではないかと思います。

‟障害者登用に前向きなわが社でも『任せられない』との思い込みが邪魔をしていた”

課長昇進を認めた上司のこの本音ともいえる言葉からは、精神障がいに対する厳しい現実を感じさせられます。

しかし、安河内さんはそこを乗り越え、その思い込みを変えさせることができたのです。

この事実が、同じように苦しんでいる方にとって、少しでも希望のものになればと思います。

就労移行支援 サスケ・アカデミー本部  本部広報/職業指導員
三浦秀章
HIDEAKI MIURA
36歳の冬、先天性の脊髄動静脈奇形を発症。 リスクの高い手術に挑むが最終的に完全な 歩行困難となり、障がい者手帳2級を取得。当時関東に赴任していた会社を辞め、地元の愛媛新居浜に戻り、自暴自棄の日々を過ごす。
41歳の冬、奇跡的にサスケ工房設立を知り福祉サービス利用者として8年半、鉄骨図面チェックの仕事に従事する。 50歳で一念発起しサスケグループ社員となる。

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