コラム

長男、夫との死別後に難病告知を受けた高清水さんの就活ブログを読んで

今回は、長年ライターとしてお仕事をされていた高清水さんが難病告知を受けてから、障がい者としての就職活動に取り組まれていくという連載記事について取り上げさせていただきます。

高清水さんは7年前に息子さんを、2年前にご主人を病気で亡くされています。
それだけでもたいへんショックなことなのですが、追い打ちをかけるかのように50歳を過ぎてから多系統萎縮症という進行性の難病にまでなってしまいます。

ご本人も当初、“死ぬことばかりを考えていた”とおっしゃられていますが、この状況を自分の身に置き換えたら、果たして前を向いて生活できるものだろうかと考えてしまいます。

私の場合は家に妻がいて体の不自由な面に対して助けてもらっており、また何よりもその存在が心の大きな支えとなっています。
その家族をお二人も失ってしまった挙句に、ご自身にも難病が降りかかってきたわけですから、後ろ向きな気持ちになるのも無理はありません。

しかし読み進めてみるとその状況が一変します。
“「仕事の神」が降りてきた”とありますように、高清水さんが障がい者としての就職活動に前向きになっていくのです。

その転機となったは、たいへん意外なことからでした。

死の準備のつもりで押し入れの断捨離をしていたときに、たまたま学生の頃の日記や手帳を目にしたことがきっかけだったのです。
“死んでから見られたくないものは、処分しなくちゃ。
すると……。中3のときの日記と、二十歳のときの手帳が出てきた。初めての彼に恋する、しあわせな15歳のわたしと、大恋愛をした、しあわせいっぱいな二十歳のわたしと彼のことが、あふれんばかりに書かれていた。”

当時好きだった人への恋心に触れ、そのときのしあわせな気持ちを思い出したことで、“「しあわせだったことを思い出す方法」を、思い出した”というのです。

たいへんユニークな表現ですが、そのことにより過去の様々なしあわせだったことをいろいろ振り返ることができ、「仕事がしたい」という前向きな気持ちに変わっていったのです。

『障害者雇用の現実1 後編』では障害者手帳の申請や、ハローワークでの就活のことなどに触れられていますが、その後の詳しい状況については来月にまた連載されるようですので、拝見したいと思います。

最後に、今何かに悩んでいてなかなか前向きになれない方は、ぜひこの高清水式「しあわせだったことを思い出す方法」を実践されてみてはどうでしょうか。

どなたでも過去にしあわせだったことはたくさんあるはずです。

ただ、目の前のことだけにとらわれてしまっていたり、時間経過のなかで忘れてしまっているだけかもしれません。

人それぞれの思い出しかたがあるとは思いますが、私もさっそく実践してみます!!

就労移行支援 サスケ・アカデミー本部  本部広報/職業指導員
三浦秀章
HIDEAKI MIURA
36歳の冬、先天性の脊髄動静脈奇形を発症。 リスクの高い手術に挑むが最終的に完全な 歩行困難となり、障がい者手帳2級を取得。当時関東に赴任していた会社を辞め、地元の愛媛新居浜に戻り、自暴自棄の日々を過ごす。
41歳の冬、奇跡的にサスケ工房設立を知り福祉サービス利用者として8年半、鉄骨図面チェックの仕事に従事する。 50歳で一念発起しサスケグループ社員となる。

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