コラム

序章 あるときから、夢に出てくる私は車いすになった

初めまして、
就労移行支援事業所サスケアカデミー本部の三浦秀章と申します。

このたび不肖ながら、社員としてブログを始めさせていただくことになりました。

 

自己紹介

 

私は普段在宅勤務をしながら、障がいをお持ちのかたの就職に向けた営業支援やオンラインカリキュラムの外部講師をしています。

オンラインカリキュラムでは、
月に一回各事業所をオンラインでつないで「将棋に学ぶ」というちょっと変わったテーマで講義をしています。
徳島事業所のブログで毎回取り上げてもらっていますのでもしよければご覧ください)

 

そして
もうひとつお伝えしたいのは、私自身も実は障がい当事者だということです。

 

プロフィールにもありますように今から14年前36歳のときに突然、脊髄の先天性の病気を発症しました。

手術など手を尽くしましたが完全に歩くことが不能となってしまい、最終的に車いすでの第二の人生を選択することになりました。

 

その後、当時勤めていた会社も辞めざるを得なくなって、二次障がいなども追い打ちをかけ、そこからしばらく自暴自棄の日々を過ごすことになります。

先行きが全く見えない状況が続いていたのですが、
奇跡的に今のサスケグループに出会うことで救われ、現在に至ります。

 

ブログの目的

 

人生はほんとうにどこで何が起こるかわからないものです。

嬉しいことがあれば、
その分つらいこともある。

それは裏を返せば、
苦しくても前を向いていけば、いずれ霧が晴れるのだということです。

後ろを向いたままでは、せっかくのそのきっかけを見過ごすことになります。

 

かくいう私自身も今だから言えるというくらいに苦しんでいた時期がありました。

このブログは、私の苦しんでいた過去のことや今思っていることなどをお伝えすることで、
現在障がいなどで思い悩まれているかたへ少しでも希望や勇気を持っていただければということで立ち上げました。

 

あるときから、夢に出てくる私は車いすになった

 

障がいになってかれこれ15年経ちますが、
つい5年前くらいまではなぜか夢に出てくる私は車いすではなく普通に歩いていました。

それがいつからか、今の姿と同じ車いすでの私が登場し始めるのです。

夢は不思議なもので、幼い頃の息子と車いすの私が遊んでいる姿だったり、かつて働いていた会社の同僚と車いすの私が話していたり、事実と全く異なっていたりします。

でも一つ正しいのは、私が車いすの姿に変わったということです。

そこだけはいつからか固定されるようになりました。
(これは妻にも言えることなのですが)

 

なぜなのかはわかりませんが、
もしかしたら私自身の心境の変化によることが左右しているのかもしれません。

そのことを紐解いていく意味でも、
障がいになってからの過去のことや、
私の心をこれから書き綴っていきたいと思います。

もしよければ、次回以降も私の拙い文章におつきあいいただければ幸いです。

 

就労移行支援 サスケ・アカデミー本部  本部広報/職業指導員
三浦秀章
HIDEAKI MIURA
36歳の冬、先天性の脊髄動静脈奇形を発症。 リスクの高い手術に挑むが最終的に完全な 歩行困難となり、障がい者手帳2級を取得。当時関東に赴任していた会社を辞め、地元の愛媛新居浜に戻り、自暴自棄の日々を過ごす。
41歳の冬、奇跡的にサスケ工房設立を知り福祉サービス利用者として8年半、鉄骨図面チェックの仕事に従事する。 50歳で一念発起しサスケグループ社員となる。
これからの目標・夢
障がいで困っている人の就職のお役に立ち、一人でも多くの仲間を増やすこと

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