今回は、私が今年1月に小学校で行った障がい当事者としての講演のことについて取り上げました。
実は、ちょうど一年前にもこちらのコラム欄で「番外編:小学校で三浦先生になる‼」という記事をご紹介させていただきました。(今回の小学校とは異なります)
講演内容としては同じものになりますので詳細は割愛しますが、もしよければ昨年の記事もご覧いただけると幸いです。
気がつけばこの講演活動を始めて1年が経ったわけですが、昨年は小中学校合わせて計4校で講演をさせていただきました。
最初は児童たちにうまく伝えられるだろうかという不安もあったのですが、さすがに回数を重ねることでどう話せばよいかがわかってきたように思います。
今回も4年生が対象だったのですが、なんと父兄参観の日ということもあり、初めて親御さんにも聴いていただけるという貴重な経験をさせていただきました。
これからもご依頼があれば、少しでも多くの人に私の経験をお伝えしていければと思います。
以下は、「小学4年生からの質問とその回答」「4年生から寄せられた感想」の2つに分けて、一部を抜粋させていただきます。

小学4年生からの質問とその回答
車いすに乗っていて、困ることや大変なことはどんなことですか。
ちょっとしたゆるやかなスロープでも、長い距離だとしんどいので、そういうときに後ろから押してもらうだけで助かります。
あとは昔からある建物だと段差や階段があり、車いすでは入れないことが多いです。神社などでお参りするときは石段があるので、見ず知らずの人に声をかけて、3~4人でみこしのようにかつぎ上げてもらったりしています。
家の中では、どのように生活しているのか。(お風呂に入るときなど)
お風呂は、浴室に介護用のいすを備え付けているので、車いすからそのいすに乗り移るようにしています。湯船には、介護用のいすから湯船のフチのところに乗り移って腰かけたまま、まずは右足を両手でもって湯船に入れてます。その後続けて左足を入れ、最後に反対側のフチに右手をかけた状態で、そろりとお尻を湯船に入れるようにしています。
車いすに乗っているときに、してもらってうれしかったことはありますか
本屋さんでも高いところにある本は取ることが出来ませんが、よく周りの人から何か本をお取りしましょうかと声をかけてもらうことも多いです。
東京スカイツリーに行った時、ものすごい行列だったが、障がい者手帳のある人は、特別に優先して職員が案内をしてくれたことがありました。映画館も半額で観ることができます。
車いす生活で大変だと思ったことは何ですか。その大変さをどうやったら、乗り越えることができましたか
お尻の皮膚の病気で、これまで8回入院をしたこと。
ひとりで自由に行動ができないこと。
おなかの調子が悪く便漏れをしてしまったときは、ひとりでは体をきれいにできないこと。
乗り越えることができたのは、家族と今の会社の存在のおかげだと思っています。
4年生から寄せられた感想
わたしは、三浦秀章さんの話を聞いて、最初に思ったのが、自分も三浦さんのように車いす生活になったり、何度も手術や入院をしなくちゃいけなくなったらどうしようということです。車いす生活が、どれだけ大変かわからないけれど、お話を聞いて、大変なことは、もちろんたくさんあって、でも、車いす生活を17年していたら、良いこともたくさんあるのだと分かりました。三浦さんは、その大変さを乗り越えて生活していることが、一番すごいと思いました。(原文のまま)
わたしの近くに車いすに乗っている人がいなくて、どういう時に困るのかがわからなかったんですけど、今回の授業でよくわかりました。とくにびっくりしたのが、階段ある所は、周りの人に担ぎ上げてもらうことです。周りの人はとても優しいなと思いました。わたしも周りに車いすの方がいたら、担ぎ上げてあげようと思いました。改めて車いすの方は、車いすに乗っていない人の倍くらいしんどいことが分かりました。三浦さんありがとうございました。(原文のまま)
ぼくは三浦さんの話を聞いて「災いを転じて福となす」という言葉が印象に残りました。しょうがいがある人も、いやなことだけではなくいいこともあるんだと分かりました。これからは「しょうがいがある人は、つらい人」という先入観を捨てて「災いを転じて福となす」ということわざを思い出したいです。(原文のまま)
三浦秀章さんのお話を聞いて、とってもつらいことがあったのに、とても前向きで、明るく頑張っているのを見て、すごいなと思いました。一人でお風呂にはいれるのがすごいと思いました。突然歩けなくなってしまっても一人だけでできることはきちんとやっていてすごいなと思ったのと、仕事に行けなくなっても、新しい仕事を探す勇気があるのはとてもすごいなと思いました。坂道を上るのが大変そうだったり困ったりしていて、わたしにできそうなことがあったら助けたいなと思いました。(原文のまま)

サスケ業務推進事業部
36歳の冬、先天性の脊髄動静脈奇形を発症。 リスクの高い手術に挑むが最終的に完全な 歩行困難となり、障がい者手帳2級を取得。当時関東に赴任していた会社を辞め、地元の愛媛新居浜に戻り、自暴自棄の日々を過ごす。
41歳の冬、奇跡的にサスケ工房設立を知り福祉サービス利用者として8年半、鉄骨図面チェックの仕事に従事する。 50歳で一念発起しサスケグループ社員となる。
これからの目標・夢
障がいで困っている人の就職のお役に立ち、一人でも多くの仲間を増やすこと。







