コラム

続・小学校で三浦先生になる‼:4年生から寄せられた感想編

前回、小学校の「総合的な学習の時間」で私の車いす生活に関する講演を初めて行ったことをお伝えしましたが、後日担任の先生からお礼をいただき、また生徒さん達からのたくさんの感想文までいただきました。

実は講演が終わってからも、私の話が4年生の子たちにどこまで伝わっているものかが正直なところ不安でした。

少しドキドキしながら、いただいた感想文にすべて目を通したのですが、ちゃんと受けて止めてくれていたことがわかりたいへん感激しました。

これを励みにこれからも頑張っていけそうです。

そこで、今回は前回に引き続き番外編として、感想文の一部を抜粋させていただきたいと思います。
(そのままの文面、使用漢字のままとさせていただきました)

わたしはみうらさんが苦労していることもあることが分かりました。
その中でびっくりしたのが2~3時間ずーっとすわっていたらひふがよわくなっておしりに穴があいて入院していることです。
一番心にひびいたことは原因不明のしょうじょうがはっせいし歩けなくなることが辛かったことだろうなと思って心にひびきました。
みうらさんのおかげで全て話してくれたことがよく分かりました。
これからの学習にいかしたいです。

わたしはみうらさんのお話をきいてかんじたことは、足が動かなくなっても会社で働けてすごいなと思いました。
なぜかというと、車いすにのりながらしごとをするのはむずかしそうだからです。
車いすのそうじゅうやしごとも大変そうなのにしごとをすごくがんばっていて本当にすごいと思いました。
これからもがんばってください。

いろいろなことをおしえていただきありがとうございました。
よく話をきいて車いすはやっぱりすごくたいへんだとわかりました。
しつもんでたいへんさやトイレのしかたもおしえてもらって、なにかできることはないか、さがしてみたら、おしてあげるとおもいつきました。
もっとまなんで、こまっている人がいたら、ゆうきをだして、だいじょうぶですか?とはなしかけてみます。車いすでもがんばってください!!

車いすのなかでも色々なことを教えてくだってありがとうございます。
みうらさんのしゅみがギターとしょうぎがとくいなことにはじめてしりました。
手などにもひろがってしまうというリスクがあったのにまようことなくしゅじゅつをしたなんて勇気があるなと思いました。
これからもがんばってください。

このまえはとてもきちょうなお話をありがとうございます。
わたしは、三浦さんが話してくれたことの中で心にのこったことが2つあります。
一つ目は、百万人に一人の病気はあり、足に力が入らなくなる病気があることです。
二つ目は、足が不自由のおかげで人のやさしさにふれることができたということです。
足が不自由なことは、つらいことだけではなく、いいところもあることが分かったからです。
このお話を次の勉強にいかしていきたいです。

みうらさんのはなしをきいて、みうらさんはいままでで、たくさんくろうをしたり、ゆうきをだしたりしてきたんだなと思いました。
なぜかというとしゅじゅつをするのかしないのかと言われてきおわずにするというけつだんをしているのがすごいと思いました。
もしわたしがみうらさんだったらわたしはすぐにけつだんすることもできないしリスクもあるのならわたしはすごくこわくてするもしないもいえないと思うからです。
ほかにもゆうきをだしているばめんがあるとおもいました。
それは、はつもうででは車いすでかいだん(スロープがないから)をあがったりおりたりするのがむずかしいから、ゆうきをだして「てつだって」とたすけをもとめていることがすごいです。
ここでまなんだことはわすれずに、そうごうてきながくしゅうのじかんをべんきょうしていきたいなと思いました。

金曜日の三浦さんのお話では、たくさんのきちょうなお話を聞かせてもらいました。
また、今働いている会社を新聞で知ったということにおどろきました。
元々は利用者だったけど、社員になって、今は社長のすぐ下で働いているということも、すごいと思いました。最後に好きなことわざを教えてもらいました。
三浦さんの人生に照らし合わせると、好きな理由がなっとくできました。
本当にありがとうございました。

三浦さんのつらかったことやたのしかったことなどをいろいろとおしえてくれてありがとうございました。
三浦さんの足がうごかなくなったことをきっかけに福をつくるということをきいて、感動しました。
もしぼくもそのようなことがあってもそのように考えて明るくしようとおもいました。
これからも三浦さんの言葉をしんじようと思いました。

この前は、1時間も大事なお話をしてくれて、ありがとうございました。
あの時間で、わたしは、みうらさんの今までの出来事について知れました。
特に車いすで生活しなければいけないことになったときまでに、手じゅつをうけていたことや、会社に入ったときの「しょうがいの人が、幸せになるように」という思いが心にのこりました。

いろいろなことをおしえてくれてありがとうございました。
ぼくは三浦さんのお話を聞いて2007年の最大のピンチのせきずいどうじょうみゃく奇形という100万人に1人かいない病気になったということが心に残りました。
でも三浦さんは車いす生活でもいつも楽しくして新しい会社入ったとがすごいと思いました。
お話をしにきてくれてありがとうございました。

私はみうらさんの話を聞いてなににかんしてもすごいなと思いました。
2007年の秋に足に力が入らなかったことは、病気の前兆と思いました。
本当に手じゅつがしっぱいしてしまって、私ならショックで立ち直ることが多分むずかしいですけど、みうらさんは自分を経ち直して前向きですごくかっこいいなと思いました。
ただ、問題もあり車いすにずっとすわっているとひふが弱ってしまうことが分かりました。
しかもみうらさんはかんかくがないため気づかないということをしって大へんなんだなと思いました。
また車いす生活ではかいだんであがるのに人手がいるのでまたまた大へんだと思いました。
でも車いす生活にもいいことがあることが分かりました。
しょうがい者手帳をもっていればえいがを半がくでみれることや人が親せつにしてくれてとてもいいなと思いました。
私たちは親せつにしてくれるが(しらない人)そんなにいなかったけど車いす生活からこそ気づけるやさしさだと思いました。
つらいこともあったと思うけど、最終的にみうらさんはニコニコしていて幸せそうだなと思いました。

就労移行支援 サスケ・アカデミー本部
本部広報/職業指導員
三浦秀章
HIDEAKI MIURA

36歳の冬、先天性の脊髄動静脈奇形を発症。 リスクの高い手術に挑むが最終的に完全な 歩行困難となり、障がい者手帳2級を取得。当時関東に赴任していた会社を辞め、地元の愛媛新居浜に戻り、自暴自棄の日々を過ごす。

41歳の冬、奇跡的にサスケ工房設立を知り福祉サービス利用者として8年半、鉄骨図面チェックの仕事に従事する。 50歳で一念発起しサスケグループ社員となる。

これからの目標・夢

障がいで困っている人の就職のお役に立ち、一人でも多くの仲間を増やすこと。

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