コラム

第22回 初めての実務

終の棲家

2013年も残りあとわずかとなった12月の暮れに、実家の横に建てた新しい我が家に引っ越しをした。

それまで住んでいたマンションはトイレが狭い面など、厳密に言うと完全バリアフリーではなかった。
そういうこともあり、車いすでも全く問題がないノンストレスの環境はマンションの頃からの憧れでもあり、やっと念願がかなったという思いだった。

また隣に実家があることで、両親にとっても私たち家族にとってもいつでもすぐに助け合える距離となったことが何よりも大きかった。

いろいろと紆余曲折を経て、自分が生まれ育った土地に戻ってきたことは感慨深かった。

新居浜の中でも特に田舎の町ということもあり周りはそこまで変わっておらず、その風景を眺めていると、子どもの頃の記憶が次から次へと蘇ってきた。

そうしているうちに昔よく遊んだ山や海などの懐かしい場所に行きたいという気持ちが湧いてきたので、まだそれを知らない息子を含めてみんなで周囲を散歩した。

時間にして2時間くらい散策しただろうか。
山のほうはさすがに石段など車いすでは上がれないところもあったが、自分の原点となる場所を息子や妻に見せられただけで十分満足だった。

「父さん、のどかでいいところやね」
帰り際に息子からそう言ってもらえて、あらためてここに帰ってきてよかったと思った。

家に戻ると、早速2階にある息子の部屋まで行けることを確認した。

費用がかかるエレベーターの代わりとして、階段の端に昇降機を備え付けていて、上がってからすぐ乗り移れるように中古の車いすも置くようにしていたのだ。

「受験勉強しっかりせいよ。たまにチェックしにくるからな」
来春に高校受験を控えている息子にそんな冗談を言いながら、しばらく息子の部屋で窓の外などを眺めたりしていた。

さっきまでいた地元の山が見える。
別の窓からは母校の小学校の校舎も見えた。

ノスタルジックな気分に包まれながら、この一年を振り返った。

サスケ工房に通い始めたこと、入院したこと、そして今回の引っ越しなど、良くも悪くも刺激的な一年と言えた。

来年はどんな年になるだろうか、あるいは10年後、20年後はどうなっているだろうか。
想像してもわかりようのないことについつい思いを張り巡らせてしまう。

先のことは全くわからないし、将来の明確な目標などもなかった。

強いて言えば、一年一年を平穏に過ごすこと、そしてこれからの残りの人生をこの新しい家でずっと過ごすことが出来れば、それに勝る願いはなかった。

障がいを経て気がつけば自分のルーツとなる場所へ戻ってきたことになる。

ここが終の棲家になるのだろうかと思いながら、年を越した。

2年目を迎えて

そしてサスケで2年目となる2014年がいよいよ始まった。
例によって、仕事始めとなる初日は朝から通所をし、恒例の初詣に出かけた。

昨年と比べると利用者の数も倍以上になり、ずいぶんと賑やかになった。
Hさんの仕切りで神社の前でみんなで記念撮影をした後、白石社長が近くにいたので新年の挨拶をした。

「三浦さん、体調は大丈夫ですか」
社長からそう声をかけてもらい、私は笑顔で何の問題もありませんと返した。

その後少し談笑していると、社長から思いがけない言葉が発せられた。

「今年は5月にお隣の西条市にも新しい事業所を出すんですよ」
そう告げた社長の目は輝いているように見えた。

常に前を向いているその心意気や行動力を少しでも見習わなければと思った。

確かに新居浜に限らず、どこの市でもこうした就労支援を求めている障がい者はいるに違いない。

また別の場所で新たにCADに取り組むサスケの仲間が増えることを想像するだけで、何か幸せな気分になった。

その後は事業所に戻り、大三島出身のSさんが里帰りのお土産として地元のミカンをみんなに配ってくれた。
実務はまだ始まっていないということもあり、初日は利用者同士でそのミカンを食べながら年末年始のことなどをお互いに話し合ったりもした。

私が引っ越しをしたことを言うと職員のKさんが、「一回おうちを見せてもらわんといかんね」と笑顔で反応してくれたので、私も嬉しくなって聞かれてもいないことまでいろいろと喋ってしまった。

そしてあっという間にお昼になった。
この日は正月明けということもあり、いつもよりも豪華な弁当を特別に事業所側が出してくれていた。

私もせっかくなので、その弁当を食べてから家に帰るようにした。

すると、同期のNさんが声をかけてきた。
「三浦さん、食べながら将棋でも一局指そや」

聞けば、たまに白石社長や職業指導員のTさんともお昼休みにNさんと将棋を指したりしているという。

私も将棋が好きだということは前に話していたのだが、普段は在宅ということもあり、なかなか対戦する機会がなかったのだ。 

せっかくなので、Nさんと弁当を食べながら将棋を指した。

人と対面で将棋を指したのはいつ以来だろうか。
おそらく障がいになってからは初めてだったかもしれない。

「こりゃまいった。三浦さん強すぎるわ」
あっさりと勝負が決まると、Nさんがそういうので思わずこちらも笑顔になった。

サスケ工房としての2014年はそんなほのぼのとしたなかでスタートを切った。

初めての実務

サスケ工房新居浜事業所が開設されて一年以上経ったわけだが、松山の在宅利用者を含めるとほぼ定員に近い状態に達していた。

CADや鉄骨図面の理解・習得には、どうしても時間がかかる。
なかには、体験の段階で自分には性に合わないという理由で利用につながらなかった人もいる。

鉄骨図面の指導についてはTさんがその都度利用者からの質問に答える形で対応していたが、全体に共有すべき事項についてはたまにスカイプで全員をつなぎ、画面共有で説明をしてくれていた。

その際にはIさんがいつも先陣を切ってTさんに細かいところを再質問し、私やNさんがそれに続くというのが定番の流れだった。

Tさんはどんな質問に対してもその場でさっと作図などをしながら、わかりやすく解説をしてくれていた。

すらすらと手際よく操作をしながら、図面の勘所についてポイントを押さえた説明をするTさんを見ていると、将来的にこのようなレベルで仕事ができたら面白いだろうなあと思ったものだった。


そして、2月の後半になってからのことだった。

その日は木曜日ということもあり午前中は通所だったのだが、朝礼時にTさんから連絡事項があった。

「みなさん、これからはいよいよ実務が始まります。具体的には白石設計のお仕事の補助作業をしてもらうことになります」

ついに来たかという感じだった。

私個人としては、もう一年以上も練習やマニュアル作りに取り組んでいる立場だったので、もうそろそろ覚悟しておかないといけないと思っていた。

ようやくこれから本格的に仕事をするのだと思うと身が引き締まる思いがした。

嬉しさ半分、不安半分といった心境のなか、Tさんから具体的な作業内容についての説明を聞いた。

やや専門的な話になってしまうが、鉄工所では柱や梁などにはさや管や吊りピースなどの仮設部材を各種取り付けることになるのだが、白石設計で作図した梁の図面に仮設部材のひな型図を付け加えるというのが主な作業内容だった。

後にサスケ工房の主軸となる取り合いチェックなどと比べると比較的取り組みやすい作業だったので、少し安心した。

この作業が実際どれくらいの生産収入になるのかなどの想像は当時は考えることもなかった。

実際にはささやかなものではあったが、ただ私にとっては記念すべき第一歩と言えた。

就労移行支援 サスケ・アカデミー本部
本部広報/職業指導員
三浦秀章
HIDEAKI MIURA

36歳の冬、先天性の脊髄動静脈奇形を発症。 リスクの高い手術に挑むが最終的に完全な 歩行困難となり、障がい者手帳2級を取得。当時関東に赴任していた会社を辞め、地元の愛媛新居浜に戻り、自暴自棄の日々を過ごす。

41歳の冬、奇跡的にサスケ工房設立を知り福祉サービス利用者として8年半、鉄骨図面チェックの仕事に従事する。 50歳で一念発起しサスケグループ社員となる。

これからの目標・夢

障がいで困っている人の就職のお役に立ち、一人でも多くの仲間を増やすこと。

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