個人的なことになりますが、今年1月に地元の小学校で車いす生活をしている障がい当事者の立場として初めて講演をさせていただきました。

対象が4年生ということで、どのようなお話しをすれば伝わるものなのかと思案しましたが、本コラムの連載ブログ「あすへの一歩」をベースとして、私が障がいになってからの半生(車いす生活で経験したこと)を中心に組み立てをしました。
最後のまとめとしては、本コラムのプロフィールにもある好きな言葉「人間万事塞翁が馬」を私の経験に基づいて伝えたかったのですが、さすがに4年生には難し過ぎるので(笑)、どうしたものかと悩みました。
そして思いついたのが、その意味に近いことわざ「災い転じて福となす」に置き換えて説明するアイデアでした。
当日「このことわざを知っている人?」と聞くと半数くらいの人は手が挙がったので少しほっとしました。
つまり、私にとっては17年前に障がいになったことは良くないこと(=災い)だったのですが、そのことがきっかけで今は人生史上最大の幸せ(=福)を感じているのだということをこのことわざを引用して説明をしました。
なぜ幸せだと思えるのかというと、一番大きなこととしては、人の親切心に触れる機会が圧倒的に多いこと、そして身近な家族の存在のありがたさに気づけたことでしょうか。
これは障がいになったからこそ気づけたことと言えます。
反面、確かに障がいになってから辛いこともたくさんありました。
でもそれをバネにすれば、自分でも想像のできなかったことも実現するのだということも伝えることができました。
私の場合だと、サスケ工房の利用者から親会社白石設計の社員なり、今では社長のすぐ下の立場で重要な役目までを任せられるまでになったことや、公私ともに気持ちが前向きになることによって、趣味の将棋でも初めて県代表になることができたことなどをお伝えしました。
これらはもしかしたら障がいになっていなければ経験できなかったかもしれないとも思えるのです。
人生どこで何があるかわからない。
誰しも大なり小なり様々な苦しみに直面するけれども、そんなときこそその経験がきっかけとなって将来良くなるのだと信じて乗り越えてほしい。
最後の締めくくりとして、そのように熱いメッセージを送ることができました。
子供たちは真剣な眼差しで私の話に耳を傾け、興味をもって聞いてくれていたように思います。
ひょっとしたら、10年後にこの中から同じ志を持った同僚になる人が現れるかも…などと思いを馳せていました。
その話が終わった後に残りの時間で、あらかじめ4年生が用意していた私への車いす生活に関する質問に時間の許す限りでお答えをしました。
参考までにその一部のQ&Aを以下に記載しておきます。
小学4年生からの質問とその回答
車いす生活は大変なのか、悲しいことはあるのか
車の運転ができない(私の場合ですが)ので、自由に行動ができない。
おなかの調子が悪く便漏れをしてしまったときは、ひとりでは体をきれいにできない。
初めて車いすに乗った時の感想
まさか自分が車いすに頼ることになるとはという思いがありました。
一番体力を使う場面や、他人の助けが必要な場面はどんな時か
ちょっとしたゆるやかなスロープでも、長い距離だとしんどいので、そういうときに後ろから押してもらうだけで助かります。
神社などでお参りするときは石段があるので、見ず知らずの人に声をかけて、3~4人でみこしのようにかつぎ上げてもらったりしています。
雨の日や雪の日の外出時の対応
出来るだけ雨の日は外に出ないようにしています(車の乗り降りでたいへんなため)ただし用事でそういうわけにもいかないケースが多いので、出来るだけ屋根のある場所を見つけようとしています。
あと、雨の日は手がすべって車輪が思うように操作出来ないので、手袋が必要になります。
高いところの物の取り方
本屋さんでも高いところにある本は取ることが出来ませんが、手すりのところに腰掛け取ることもあります(あまりおすすめできないですが・・・)
そうしていたら、よく周りの人から何か本をお取りしましょうかと声をかけてもらうことも多いです。
トイレや風呂など、家での生活の工夫
トイレは引き戸タイプで、なかは車いすで自由に回転が出来るくらいのスペースがあります。
ただし、自力で尿が出ない体なので、小に関してはぼうこうから直接管を通して尿パック(2.5ℓ)に出すようにしており、たまったらそれをトイレで捨てるようにしています。
大の方は、以前は直接便座に座ってやっていましたが、お尻の皮膚の病気を繰り返すうちに、今はベッド上で妻に対応してもらっています(人並みに便意を感じない体のため常に便秘の状態のため、手袋をして中の便を取り出してもらっています)
車いすに慣れるまでの時間や苦労
車いすに乗ること自体はすぐになれますが、お尻に感覚が全くないため、褥瘡(じょくそう)というお尻の皮膚の病気を防ぐための工夫が必要です(10~15分おきに腰をあげてお尻の皮膚にかかっている圧力をゆるめる)
なぜ車いす生活を選んだのか、再手術をしなかった理由
一回目の手術がうまくいかなかったことと、上半身まで動かなくなるというリスクがあったため、最終的に車いすで出来ることだけでも幸せだと思うように受け止めた。
病気にかかっていなかったら何をしたいか
今の状態をすでに悪いことのように受け止めてはいないので、そういう想像自体をしていません。でも、歩けるのであれば今の息子と背比べをしてみたいです(大人になった息子がどれだけ成長したか実感したい)
車いす生活をしている中で、私たちがどのように手伝えるか
気にかけていただけるだけで嬉しいです。気にかけられる人については、大人だから子どもだからという差はないですね。

36歳の冬、先天性の脊髄動静脈奇形を発症。 リスクの高い手術に挑むが最終的に完全な 歩行困難となり、障がい者手帳2級を取得。当時関東に赴任していた会社を辞め、地元の愛媛新居浜に戻り、自暴自棄の日々を過ごす。
41歳の冬、奇跡的にサスケ工房設立を知り福祉サービス利用者として8年半、鉄骨図面チェックの仕事に従事する。 50歳で一念発起しサスケグループ社員となる。
これからの目標・夢
障がいで困っている人の就職のお役に立ち、一人でも多くの仲間を増やすこと。