今回取り上げた記事は以下になります。
トヨタ式モノづくりで推進するDE&I、人中心の「未来工場」へ
(HumanCapital ONLINE_20250903より)
ここで説明されているトヨタ本社工場が進める「チャレンジド・パーク」の取組みは、単なる福祉的配慮や労働力不足の補完にとどまらず、DE&Iの理念をものづくり現場で体現する試みであると感じました。
特に「勤務が困難」とされてきた人々に、新たな希望の形を提示していることが強く印象に残りましたので、例によって記事文章を引用しながら感想を述べてみたいと思います。
まず、記事の冒頭にある
”「人を機械の番人にしない」――。トヨタグループ創始者で自働化思想の生みの親である豊田佐吉氏の言葉は、今も現場で生き続けている。”
という言葉は、今回の取り組みを支える哲学そのものだと感じます。
勤務困難者はしばしば「できない人」として補助的な役割に回されがちです。しかしトヨタは、人を単なる機械の補完に押し込むのではなく、人の創意や可能性を最大限に発揮させることを目指しています。
その姿勢が、障がいや制約を抱える人々を「戦力」に変えているのです。
次に注目したのは、
”工場は、連続2交代制のライン勤務が基本。この勤務が難しい場合、これまでであれば、辞めるか、間接業務に回り力を持て余すしかなかった。そのような従業員に『自分に合った働き方を見つけて活躍してもらい、生じた余力で新たな領域の事業に取り組むことで、全体としても成長する』(西岡氏)”
という部分です。
ここには従来の「働けないなら退職か配置転換」という二択を打破し、「その人なりの働き方を模索する」という発想の転換が表れています。
この視点は勤務困難者にとって大きな希望です。
働き方を制約から「可能性」へと転換することで、人は新たな役割を見いだせるのだと感じました。
特に心を動かされたのは、
”『危ないからやらせない』ではなく、『聴覚障害や視覚障害があっても仕事がしやすい環境』を検討。”
という実践です。
ここで描かれているのは「H君」の事例ですが、従来なら「リスクがあるから排除」という発想になりがちです。
けれども西岡氏らは、危険を避けるのではなく「どうすれば挑戦できるか」を考えました。この姿勢は障害のある人々に「挑戦の権利」を保障するものであり、まさにDE&Iの核心です。
私自身、この発想の転換が勤務困難者にとって最大の希望を生むのだと感じました。
さらに、
”『やってあげる』のではなく、『教え・教えられる』という相互に支え合える関係になれることを確信した”
という言葉も大切です。
勤務困難者に対して「守る」「助ける」という一方通行の関係ではなく、共に学び合う対等な関係を築く。この関係性は、支援を受ける人に自信を与え、同時に組織全体を強くします。
勤務困難者が「守られる存在」から「共に価値を生み出す仲間」へと変わる瞬間に、希望が宿るのだと実感しました。
さらに印象的だったのは、
”『年間1000万円ほどの収益を生んでいる』(原田氏)”
という銅線リサイクルの事例です。
勤務困難者の活躍の場づくりが、単なる福祉的配慮ではなく、確かな経済的成果を生んでいおり、ここに希望があります。
勤務困難者が組織にとって不可欠な存在であると証明することは、本人にとっても大きな自信となり、社会的評価にもつながっていくことだと思いました。
また、
”ボルトをはめやすくする補助具(治具)を作製するなどで、特例子会社の従業員が無理なく働ける環境を整えた”
という部分も重要です。
かつての障がい者雇用にありがちだった「補助的業務」の域を越えて、工夫次第で「モノづくりの担い手」として活躍できるようにしているのです。
勤務困難者に「本流の業務に関われる」という希望を与える試みであり、DE&Iの理念がいかに現場で具体化できるかを示しています。
さらに、
”課長が毎日、部下一人ひとりに挨拶して回る習慣”
についての記事の記述からは、トヨタの姿勢が単なる制度や施策にとどまらないことが伝わってきます。
勤務困難者にとって、心理的安全性は何よりも重要です。
小さな変化を見逃さず、日々の声掛けで安心感を与える。
この「当たり前の人間的な関わり」が、勤務困難者にとっての最大の希望になるのだと感じました。
最後に、記事を締めくくる
”トヨタ自動車は、10年後の工場のありたい姿を描き、モノづくりに携わる喜び・幸せを感じられる魅力的な未来の工場づくりを進める。”
という言葉は力強いメッセージです。
勤務困難者にとって「自分も喜びを感じながら働ける未来」が約束されることは、何よりの希望です。
そしてこの取組みはトヨタだけでなく、社会全体に広がるべき方向性を示していると思います。
この記事を通じて私は、勤務困難者にとっての希望は「働き方を諦めない社会の仕組み」と「挑戦を支える現場の姿勢」にあると感じました。
トヨタ本社工場が実践するDE&Iは、その両方を兼ね備えています。
これは単なる企業の一事例ではなく、これからの社会における希望のモデルケースだと言えると思います。
個人的な話で恐縮ですが、私が障がいになったとき、当時勤めていた会社を辞めなければならなくなった苦い経験があります。
ただそのことによって今があるのだと思えば、何がよかったのかはわかりませんが、当時の気持ちを思うと、いかなる状況になったとしても社員を戦力として活かしてくれる会社が少しでも増えていってほしい。
そう切に願うばかりです。

サスケ業務推進事業部
36歳の冬、先天性の脊髄動静脈奇形を発症。 リスクの高い手術に挑むが最終的に完全な 歩行困難となり、障がい者手帳2級を取得。当時関東に赴任していた会社を辞め、地元の愛媛新居浜に戻り、自暴自棄の日々を過ごす。
41歳の冬、奇跡的にサスケ工房設立を知り福祉サービス利用者として8年半、鉄骨図面チェックの仕事に従事する。 50歳で一念発起しサスケグループ社員となる。
これからの目標・夢
障がいで困っている人の就職のお役に立ち、一人でも多くの仲間を増やすこと。