コラム

第15回 サスケ工房で働く人たち

ずっと働きたいと願う

サスケ工房での面接を終えたその日の夜、息子にも年明けから働けそうだという話をした。

白石社長から渡されたCAD体験版デモ機のCDを自宅のパソコンに挿入し、こんな感じで図面の仕事をすることになるんだと説明した。

口頭だけで説明した段階では息子は全くピンと来ていない様子だったが、実際のCAD画面を見ると、物珍しいものを見たというような表情に変わり「なんか面白そう」とつぶやいた。

息子が抱いたその印象は、まさしく私自身のものでもあった。
営業畑一筋だった自分が毎日パソコンに向かい合って、設計に関わる仕事をすることになるなんて想像もしていなかったが、まだ体験してから数日しか経っていないのに、もう完全にその気になっていた。

「設計の仕事してます、って言えたらかっこいいよね」

私がそういうと、息子は笑いながら「父さん、ほんまにできるんか?」と返してきた。

つい最近までは、私の精気のなさが原因で親子の間でもそこまで弾むような会話さえなかった状況だったが、不思議なものであの新聞記事との遭遇がその雰囲気を一変させてくれたのだ。

そして年が明けるまでの残り1か月半は、家でCAD体験版での操作練習をしながら、来たるべき日を楽しみに待つ日々が続いた。
12月に入り、福祉サービスの受給者証も予定通り申請が通り、いよいよこれから始まるんだという思いがさらに強くなった。
たまにテレビで建築に関するニュースや話題などが出てくると、これまでは全く見向きもしないはずだったのに、なぜか気になっている自分が何となくおかしく感じられたりもした。

そしてついに年が明け、2013年の正月を迎えた。

実家に集まった姉の家族にも、正月明けからサスケ工房に通所するということを伝えた。
実は、姉は新居浜市内の他の福祉事業所の職員として働いている立場でもあったのだ。

さすがに新規で参入したばかりのサスケ工房のことは知らなかったようだが、就労継続支援A型事業所のことについては当然ながら理解があり、また障がい福祉の分野のことについて、姉弟の間でも珍しく話が盛り上がった。

それまでは福祉のことについて正直なところ関心が薄く、姉がどのような仕事をしていたのかさえはっきり認識していなかったのだが、思わぬ形で急接近する形となった。
そして初めてと言っていいくらい、姉から自身の仕事についての考えを聞き、福祉のプロとして頑張っていることに気づかされた。

正月はこうして家族にも喜んでもらい、その足で妻と息子の三人で地元の氏神神社で初詣をした。

「サスケ工房で、ずっと働くことができますように」

私の願いはこのひとつだけだった。

サスケ工房で働く人たち

心なしか暖かさを感じる2013年1月4日、私はついにサスケ工房新居浜事業所に記念すべき初の通所をした。

例によって、1階入り口の引き戸をスライドすると、前回見学で見たときよりも明らかに人が増えていた。
白石社長やHさんもいたので、まずは新年の挨拶をし、「今日からよろしくお願いします」と頭を下げた。

するとHさんから、「もう一人職員がいるので紹介しますね」と言って、少し背の高い白髪混じりの男性を紹介してくれた。

「Kと申します。三浦さんですね、どうぞよろしく」

Kさんは、優しそうな目と物腰の柔らかい口調で、私に挨拶をした。

CADの指導については、主に白石社長とKさんが担当するということも同時に理解した。

周りを見渡すと、見学のときに顔を合わせた5人の利用者はもちろんいたが、他に3人の利用者と思われる人が新たに加わっていた。
つまり、私を含めて9人の利用者がこの1月から共に頑張っていく仲間となるのだった。

9人のうち男性が6人、女性が3人という内訳で、後でわかったことなのだが、同い年の男性Sさん、30代前半の女性Aさん以外は全員私より年上の人だった。

「じゃあこれから、近くの一宮神社まで皆さんと一緒に初詣に行きますので、寒くない格好で外に出てくださいね」

Hさんが9人の利用者にそう呼び掛けた。

事業所から一宮神社までは歩いて約10分くらいの距離だったが、この日は天気もよく、ちょっとした朝の散歩にもなるし、仕事始めのイベントとしては最高だなと思った。

車いすのMさんは手も不自由なこともあり、Hさんが後ろから車いすを誘導し、そのまま外に出た。

Kさんが私にも「介助しましょうか」と聞いてきたが、自力で車いすを漕いでいける自信があったので「大丈夫です」と返した。 
他の利用者もぞろぞろと外に出て、全員で一宮神社に向かった。

最初の信号待ちのところで、信号が青になったとき、誰かが後ろから私の車いすを押してくれたので、誰だろうと振り返った。
ぱっと見は色黒でちょっと怖さそうにも見える50代半ばくらいの男性だった。

「Nと言います。私も今日からなんでよろしく」

そういえば、さっき部屋でおそらく初対面だったと思われるMさんにも、まるで子供に接するかのように気さくに声をかけていた人だということを思い出した。

「僕はね、昔自分で土木の会社やりよったんやけど、どうもあかんなってね、おまけに体も壊してしもてさっぱりよ」

Nさんは笑いながらそう言い、ずっと私の車いすを押してくれた。
その後、一宮神社についてからもずっとNさんと行動をともにしたが、見た目のギャップと、つらい過去の話をさらっと話すその感じから、何とも言えない人柄の良さが伝わった。

それぞれが初詣を終えると、最後は神社をバックに全員で記念撮影をし、そしてまた事業所に戻った。

社長のCAD講義

事業所に戻ると、まずは利用者全員の簡単な自己紹介から入った。
それぞれの障がいについては、自ら説明する人もいれば、そこには全く触れない人もいた。

メンバーのなかで最年少のAさんについては、自らの難病の症状を説明した。
筋無力症というこれまで聞いたことのない病気だった。

会話だけしていると、どこが悪いのだろうかと思うくらい若くて明るい女性という印象だったが、聞けばあまり長時間日射することができず、常にマスクをしていなければならないという制約を抱えていた。
日によってはずっと立っていられない日もあると聞いて、こんな未来のある若い女性が、なぜこんなつらい思いをしなければならないのかと思ってしまった。

そうして全員の自己紹介が終わり、いよいよCADの時間がやってきた。
最初はどのように進行するのだろうかと思っていたが、HさんとKさんがパソコンの画面がスライド用のスクリーンに映るように準備し始めた。

てっきり、Kさんが操作の講義をしてくれるんだと思っていたが、なんと白石社長自らが皆の前に立ち、話し始めたのだ。

「今日から加わった方もいるので、まずは簡単にCADとはどういうものか、そして基本的な操作を私のほうで説明します」

まさか会社のトップの立場である社長自らが講義をしてくれるなんて、全く想像もしていなかったので、正直なところ驚いた。

社長は、ときおりはにかみながら丁寧にゆっくりとCADの操作の説明をしてくれた。
そういった一面が垣間見えて、実は社長社長していない庶民的な感覚を持ち合わせている人だということがわかってきた。

利用者は皆、白石社長の説明を真剣に聞きながら、自分のパソコンで同じように操作確認を繰り返した。

「設計というと難しいという印象もあるかもしれませんが、実は基本操作のかけ合わせなので、コツコツやっていけば誰でもできるようになります」

講義の最後で言ったその社長の一言で、さらに希望と勇気が出てきたのを今でも覚えている。

就労移行支援 サスケ・アカデミー本部
本部広報/職業指導員
三浦秀章
HIDEAKI MIURA

36歳の冬、先天性の脊髄動静脈奇形を発症。 リスクの高い手術に挑むが最終的に完全な 歩行困難となり、障がい者手帳2級を取得。当時関東に赴任していた会社を辞め、地元の愛媛新居浜に戻り、自暴自棄の日々を過ごす。

41歳の冬、奇跡的にサスケ工房設立を知り福祉サービス利用者として8年半、鉄骨図面チェックの仕事に従事する。 50歳で一念発起しサスケグループ社員となる。

これからの目標・夢

障がいで困っている人の就職のお役に立ち、一人でも多くの仲間を増やすこと。

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