コラム

池上彰さんが伝えるヨコの想像力とは:障がいが生み出すイノベーション

今回は、今年8月に『池上彰が大切にしている タテの想像力とヨコの想像力』を出版された池上彰さんの関連コラム記事から取り上げたいと思います。

音声認識、自動運転自動車──、障がい者の夢から生まれる大ヒット製品が、なぜ、日本から出ない?
池上彰が大切にしている想像する力8(現代ビジネス_
2023.08.31より)

同書では、これからのAI時代において、人間だからこそ求められる想像力とは何かという点について、池上さん独自の視点で様々な観点から解説されているのですが、本コラムではその著書の中から、以下のことについてピックアップしています。

“電話や音声認識、自動運転自動車は視覚障がい者の存在が開発を後押ししました。これらの製品はその後、大きなビジネスを生んでいます。
ところがそもそも、こうした製品開発が日本では極めて少ないのです。
日本人の意識の壁とは何か、リミッターを外すにはどうしたらいいか。
視覚障がい者(全盲)でありながらIBMの最高技術職だった浅川智恵子さん(現・日本科学未来館館長)や、ドイツのメルケル元首相の発想にそのヒントがあります。“

ここでは日本人の意識の壁という課題に対してヒントとなる2人の女性の事例を取り上げていますが、特に前者の浅川智恵子さんのお話は、ご自身が視覚障がい者であるという点も含めて、たいへん印象的でした。

私なりにこの事例のポイントとなることを、以下にまとめてみました。

浅川智恵子さんが取り組んできたこと

“浅川さんは中学生のときに失明してしまい、視覚障がい者(全盲)となりました。
学生時代に、日本IBMの学生研究員として点字翻訳システムを開発したことで、その後日本IBMに正式入社をします。
障がい者支援のプロジェクトや、アクセシビリティー実現のための研究を続け、IBMの最高技術職である「IBMフェロー」となります。”

“浅川さんは「障がい者を支援する技術でイノベーションを起こし、社会に普及させる」ことを信念としていて、視覚障がい者向けにウェブページの記述を読み上げる世界初のソフトウェア「ホームページリーダー」などを生み出しています。”

まず、浅川さんの経歴についてですが、全盲というハンデキャップを背負いながらも、障がい当事者としての立場をむしろ味方につけて、IBMフェローまでのキャリアアップにつなげていったというのはほんとうに素晴らしいですね。

障がいがあってもそれを活かすこともできるのだ、ということを身をもって示していただいている存在と言えます。

障がいをどう捉えるかは人によって違いますが、それを活かせることがあるのであれば、何かしらアウトプットできるのではという希望を抱かせてくれますね。

浅川さんがIBMで取り組んできたことは、一言で言えば、アクセシビリティということになります。

そもそもアクセシビリティとはどういう意味でしょうか?
記事では以下のように説明されています。

“アクセシビリティーとは、障がい者が健常者の人たちと同じように、あらゆる環境、たとえば輸送機関や施設・サービス・情報通信などを利用しやすいようにすることです。”

ここで重要なことは、障がい者が主語となる概念ではありますが、アクセシビリティは広範な人々にとっても利益をもたらすことができるという点です。

記事にもありますが、浅川さんの信念として「障がい者を支援する技術でイノベーションを起こし、社会に普及させる」ことがあります。

例えば、音声合成や音声認識技術は、視聴覚障がい者のために開発が始まりましたが、これは他の人々にも便益をもたらしていると言えます。

多様性の時代に求められるヨコの想像力

こうした技術は、もしかしたら健常者だけの視点ではもっと遅れていたのかもしれません。

しかし、池上さんはこれからの時代に必要なこととして、この浅川さんの事例から、以下のように説明されています。

“障がいがあるということは大変ですが、健常者とは違う視点になるからこそ、それを生かせばいろいろな技術を生み出すこともできる。
想像力はつまり、どの視点から何を見るかで、人それぞれ大きく違ってくるのです。
他の人たちとは違う視点を持つことは、想像力のリミッターを外すきっかけになるということです。”

つまりこれが池上さんが言うところの「ヨコの想像力」という意味です。

今は多様性の時代ともいわれますが、それぞれの立場を理解し、認めることが、結果的に次へのイノベーションに繋がっていくのだと思います。

そしてもうひとつ重要なこととして、池上さんは日本における障がい者への向き合い方についても、浅川さんとの対談を通じて以下のように言及していました。

“なお「アクセシビリティーがイノベーションを生み出す」ことに関して、日本から始まった事例はほとんどないと浅川さんは話していました。
それはなぜなのか。
日本の場合、「障がい者は大変だろうから、家にいればいい」「外に出ていかなくても、いろんなお世話をしますよ、助けますよ」という発想だからなのだそうです。
あくまで「援助をすべき対象」としてしか考えてこなかったわけです。“

“障がい者だって、ひとりの人間として外で活躍したいのだ、という思いに対し、日本では「ヨコの想像力」が足りなかったのではないかと思います。
自立をしたい、自分で少しでもお金を稼いで生活の足しにしたい、親元を離れてひとりで生活してみたい、などと思うのは、健常者も障がい者も同じです。
その、人間としてとても大事な思いを叶えられるように障がい者を手助けする、という視点が、日本の場合は非常に立ち遅れていたと思います。“

池上さんや浅川さんのこの見解は、まさに今の日本が抱えている問題の核心をついているのだと思いました。

ここでも「ヨコの想像力」という言葉が出てきますが、池上さんはビジネス的な観点と障がい福祉的な観点との2つの面に対して「ヨコの想像力」が足りないと指摘しているわけです。

障がい者雇用において、最近よく議論になるのは「雇用の質」という問題があります。
この問題に対しても、池上さんの指摘は響くものがあり、大きな示唆を与えてくれています。

援助という言葉は決して悪い意味ではないですが、これまでの日本社会においてはそこに重きをおきすぎてきたのかもしれません。
そのため、障がい者が本当の意味で自己実現できる環境というのが日本では遅れているのだと思います。

世界でもっと日本人が羽ばたけるように、そして障がいのある方がもっと活躍できる社会となるためにも、池上さんの「ヨコの想像力」という考え方が広がっていければと思います。

就労移行支援 サスケ・アカデミー本部
本部広報/職業指導員
三浦秀章
HIDEAKI MIURA

36歳の冬、先天性の脊髄動静脈奇形を発症。 リスクの高い手術に挑むが最終的に完全な 歩行困難となり、障がい者手帳2級を取得。当時関東に赴任していた会社を辞め、地元の愛媛新居浜に戻り、自暴自棄の日々を過ごす。

41歳の冬、奇跡的にサスケ工房設立を知り福祉サービス利用者として8年半、鉄骨図面チェックの仕事に従事する。 50歳で一念発起しサスケグループ社員となる。

これからの目標・夢

障がいで困っている人の就職のお役に立ち、一人でも多くの仲間を増やすこと。

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