コラム

第14回 サスケ工房との出会い

サスケ工房との出会い

縦の見出しで大きく書かれていた「障害者に設計業務指導」という文言がまず真っ先に飛び込んできて、思わず記事全文を一気に読み通した。

「新居浜の会社」とは、株式会社白石設計という会社だった。

鉄骨建築の施工図面作成で国内トップシェアを誇る白石設計が、設計業務と福祉を融合させた障がい者就労支援事業を2012年11月にスタートさせたというのだ。

就労継続支援A型事業所という存在があるということも、この記事を通じて初めて知った。
調べてみると、福祉の事業所でありながら、図面の仕事をすることで収入を得ることが出来るというのだ。

その事業所の名は「サスケ工房」だと書かれてあった。
どことなく、ユニークで親しみやすい名称だと思った。

写真には、パソコンに向かってCADの指導を受けている5人の利用者の姿があった。
そのうちの一人は車いすに乗っていた。

「高齢者も障害者も、もっと成長しよう、社会に貢献して幸せになろうと考えている人に多く出会った」

「完全な人間なんていない。ハンデがあれば、逆に得意なこともあるはず。障害者の可能性を探ることで、一緒に自分自身の可能性も探っていきたい」

白石設計の白石光廣社長のこれらのコメントをみて、直感的に「ここしかない」と思った。
ここなら、自分の障がいのことも考慮してもらいながら働けるかもしれない。

私はすぐにリビングに居る妻を大きな声で呼んだ。

「こんな会社が新居浜にできたらしいんやけど、どう思う?」
寝室に入ってきた妻にその新聞記事を渡した。

妻はしばらく目を通していたが、途中で
「在宅でも働けるみたいなことも書いているし、良さそうな会社やん」と返してきた。

妻からのその言葉で、あらためて「ここしかない」と確信した。

CADという言葉もほぼ初めてに近い遭遇であり、また設計業務という未知のものに不安もあったが、ここなら基本からきちんと学ぶことが出来るはずだと自分に言い聞かせた。

そしてすぐにインターネットで、サスケ工房の連絡先を検索した。
電話番号が見つかると、そのまま何のためらいもなく電話をかけた。

なかなかすぐにはつながらなかったが、しばらくすると声の低い男性が電話に出た。
私はやや緊張しながらも、電話先の男性に事業所見学をしたいと希望を伝えた。

すると、その男性は「見学はいつでもいいですよ、いつがいいですか」と訊いてきた。
念のため妻に確認をした後、「それでは、明日の午後に伺います」と返した。

「わかりました、明日お待ちしています。私は社長の白石と申します」

今思い返せば、これが白石社長との最初の会話だった。

見学で受けた衝撃

翌日、妻と一緒にサスケ工房の見学に向かった。

自宅からは思いのほか近くにあり、車で10分もかからなかった。
3階建てのその建物には「株式会社白石設計」という看板があった。

車から降りて、1階入り口となる引き戸をよくみると、サスケ工房の文字があった。
どうやら白石設計の1階部分が、今回新しく設立したサスケ工房の事業所ということらしかった。

少し緊張しながら、ゆっくりとその引き戸をスライドさせた。

すると、記事の写真で見た車いすに乗った利用者と思われる男性の横顔が目に映った。
またその隣には職員だと思われる若い女性が座っていて、すぐに私たちに気づいてくれた。

「こんにちは、昨日電話いただいた三浦さんですね」

笑顔でその女性が近づいてきて、お互いに挨拶を交わした。
その女性は、サスケ工房のサービス管理責任者のHさんだった。

「今ちょうど社長は上に上がっていて、またそのうち降りてきますので」

Hさんはそう言って私と妻に、ひととおりサスケ工房のことを説明してくれた。

記事の写真に写っていた5人の利用者とも挨拶をした。
一見どこに障がいを抱えているかわからない人もいたが、さすがにこちらからそれを訊くわけにもいかない。

ただ、車いすに乗っていた男性のMさんは、その様子から脳性麻痺であることがわかった。
挨拶の際にも私にゆっくりと何か話してくれたのだが、正直なところ全く聞き取ることができなかった。

私が焦っていると、Hさんがそれを察したのかMさんの言っている言葉を通訳してくれた。
その後もHさんは、Mさんと普通に会話していたが、なぜHさんはすべて聞き取れるのだろうかと、その様子にカルチャーショックを受けた。

そしてもっと驚いたのは、手も不自由なMさんが、CADを特殊なマウスを使って操作していたことだった。

まだ基本操作練習の段階とは言え、Mさんは図形のトレースを上手に描いており、またMさん自身が気づいたことを図形の横に注釈を入れたりしていた。
その注釈の文章を見ると、表面的にはかなりのハンディキャップがあるが、内面はむしろ私よりも丁寧な仕事をする人なんだということがわかった。

またCADというツールを介することで、ハンディがあっても生み出されてくるものはすべて平等だということにも気づかせてくれた。

「Mさんは、自分で車の運転もされるんですよ」
Mさんに驚いているうちに、さらに追い打ちをかけるようにHさんがそう説明した。

私は自分が恥ずかしくなった。
私よりも数段不自由な体であるにもかかわらず、少しでも可能性があることに挑戦しているMさんの姿勢に完全に打ち負かされてしまっていた。

そんな様子をしばらく見ているうちに、やがて白石社長が上から降りてきた。

サスケ工房で働くことを決める

「初めまして、白石です」

白石社長は、低く響く声で私に挨拶をした。
今だから言えるが、そのときはなんとなくコワオモテ(笑)の雰囲気があり、少し緊張をしてしまった。

私が車いす姿であるのをみて、白石社長は真っ先に身障者用のトイレのところに案内してくれた。
トイレは思ったよりも広かったので安心した。

その後は、白石社長自ら実際にCADを操作して見せてくれた。

「三浦さんも、実際に触ってみますか」
白石社長からそう言われ、少し戸惑いながらも、直線を適当に書いたり、それを複写したりしてみた。
思ったよりも操作しやすいことがわかってきて、だんだん楽しくなってきているのが自分でもわかった。

しばらく操作をしているうちにこれならやっていけそうという感触が徐々に沸いてきた。
そして気がつくと見学してからすでに1時間が経っていた。

私は白石社長とHさんに、ここで働きたいという希望を告げた。
すると、3日後にあらためて履歴書を持参して正式に面接を受けるという話になった。

面接では、やはり白石社長とHさんの二人が対応された。

私の障がいになった経緯や前職のことなど色々と聞かれた。
白石社長は見学のときよりも神妙な表情に見えたため、私も幾分緊張していてうまく話せたかどうか自信がなかった。

また趣味のことも聞かれ、恐る恐る「ギターと将棋が趣味です」と答えた。
すると、社長が急に笑顔になった。

「僕もギターと将棋が趣味なんよ、奇遇やね」

まさかのこの一言によって、急に緊張がほぐれてきたのを覚えている。
この偶然の共通点で白石社長への距離感もなんとなく縮められたような気がした。

面接はそのまま和やかなまま終了し、最後にHさんから福祉サービスの受給者証の申請手続きの説明を受けた。
受給者証には多少時間がかかるため、おそらく年明けからの利用開始になるだろうという話だった。

つまり、この時点で事実上、2013年1月よりサスケ工房の利用者になることが正式に認められたのだった。

つい最近まで全く先が見えない状況だっただけに、さすがにこの急展開には自分でも驚くよりなかった。

就労移行支援 サスケ・アカデミー本部
本部広報/職業指導員
三浦秀章
HIDEAKI MIURA

36歳の冬、先天性の脊髄動静脈奇形を発症。 リスクの高い手術に挑むが最終的に完全な 歩行困難となり、障がい者手帳2級を取得。当時関東に赴任していた会社を辞め、地元の愛媛新居浜に戻り、自暴自棄の日々を過ごす。

41歳の冬、奇跡的にサスケ工房設立を知り福祉サービス利用者として8年半、鉄骨図面チェックの仕事に従事する。 50歳で一念発起しサスケグループ社員となる。

これからの目標・夢

障がいで困っている人の就職のお役に立ち、一人でも多くの仲間を増やすこと。

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