コラム

誰もが住みやすいまちとは:重度障がい男性の決断

今回取り上げる熊本テレビの記事では、中学生の頃から重度の障がいを抱えている熊本市出身の池上輝さんの生き方を通じて、大分県別府市のインクルーシブな取り組みについて紹介されています。

障害がある人も働き住みやすいまち大分・別府市 1人で熊本から移住 重度障害者の男性が「思い描いた以上の生活」(テレビ熊本_2023.11.05より)

実は記事のなかで、池上さんのことについて、以下のように説明されています。

“池上さんの場合、熊本市の福祉サービスには「隙間」があったというが、別府市では24時間継続して受けられることが認められる。「安心して生活ができる」、それが移住を決めた大きな理由だった。”

これは決して地元の熊本市の福祉サービスが良くないという意味ではなく、むしろ別府市のサービスがご本人の事情(介助の間が2時間空くと頚髄損傷の後遺症で緊張が入り、車いすから落ちそうになる)にも適応できる優れたサービスを提供しているということだと思います。

しかしそういった事情があるとはいえ、思い切って地元を離れて移住をした池上さんの決断は本当にすごいことだと思います。

住み慣れたまちから出ていくということは、重度の障がいのある方にとってかなり勇気のいることだと思うのです。

池上さんにその決断をさせてしまうほどの別府市とはどんなまちなのでしょうか。

別府市と言えば真っ先に浮かぶのは、やはり温泉のまちというイメージです。
全国でも有数の観光地ということで、私もまだ健常者だった約20年前に旅行で訪れたことがあります。

ただ別府市自体は人口約11万3000人と、ちょうど私が住んでいる新居浜市とそう変わらない規模の中堅規模のまちと言えます。

しかし、人口規模はそうであっても、障がい者が占める割合は7%と、全国平均5%を上回っているというのです。

その要因のひとつとされている「太陽の家」という社会福祉法人の存在について以下のように説明されています。

”1965年に地元医師によって創設された施設で、障害がある人とない人が一緒になって働くことができる企業や生活の場が、ひとつの街のように集積している。「太陽の家」と民間6社がそれぞれ共同出資した会社があり、計約600人を雇用している。”

こうした背景・歴史があって、今の別府市の取り組みにつながっているのです。

昨今D&I(ダイバーシティ&インクルージョン)が叫ばれていますが、別府市にとっては特別に新しい概念でもなく、以前よりそういった理念のもとでまちづくりをされていたのだと思います。

つまり、障がい者に限らず国外から3000人の留学生も住んでいるという点においても、インクルーシブなまちと言えます。

そのような土壌のある別府市に移住された池上さんは、どのような生活をされているのか気になるところですね。

”池上さんは大分県の助成事業として、さまざまな観光地のバリアフリー化を調査している。
調査項目はスロープや多目的トイレなど50項目以上で、調査結果はバリアフリーマップとして公開される予定だ。マップを見る車いすユーザーが、スペースや段差などがどの程度のものかを写真を見て分かるように池上さんが被写体になる。”

池上さんは、NPO法人「自立支援センターおおいた」で週5日働いているとのことですが、特に上記の仕事内容については、たいへん意義深いことをされていると感じます。

私自身も車いす生活をしている身だからこそわかるのですが、特に田舎だとまだまだバリアフリーの環境が整っているところが少なく、例えばどこかで外食をしようとなったときでも、トイレまで完備されているという観点でみると、ほんとうに限られたところからの狭い選択肢しかないというのが実情で、悩みの部分となっています。

別府市の場合はそれに加えて観光のまちでもあるわけで、私のような県外の障がい者にとっても、どのくらいの環境があるのかという情報は何よりも欲しい情報と言えます。

当事者である池上さんが被写体になってのバリアフリーマップは今から公開されるのが楽しみです。

観光の際にはぜひ私も利用させていただきたいと思います。

”土、日とかは朝からヘルパーと出かけたりとか観光地を回ったりとかしている。自由に思い立って動けるというのが一番大きい。いろんな人を(観光)案内できるようなって、最終的には障害がある人たちの自立支援やいろんな生活ができるということを見てほしいなと提案していきたい。そういうふうにつながれば“

このコメントからも池上さんの志の高さがうかがえますが、移住の決断をしていなければだいぶ状況が違っていたのかもしれないですね。

別府市での生活によって、池上さんがほんとうに活き活きとした毎日を送られていることが伝わってきます。

自らの人生を積極的に切り開き、また何より同じ仲間のためにという思いで仕事をされている姿に感銘を受け、たいへん共感をしました。

私も自分のできることをもっと見つけていかないといけないですね。

就労移行支援 サスケ・アカデミー本部
本部広報/職業指導員
三浦秀章
HIDEAKI MIURA

36歳の冬、先天性の脊髄動静脈奇形を発症。 リスクの高い手術に挑むが最終的に完全な 歩行困難となり、障がい者手帳2級を取得。当時関東に赴任していた会社を辞め、地元の愛媛新居浜に戻り、自暴自棄の日々を過ごす。

41歳の冬、奇跡的にサスケ工房設立を知り福祉サービス利用者として8年半、鉄骨図面チェックの仕事に従事する。 50歳で一念発起しサスケグループ社員となる。

これからの目標・夢

障がいで困っている人の就職のお役に立ち、一人でも多くの仲間を増やすこと。

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